岐阜県中津川市に生まれ、恵那市で育った藤井少年は、27歳のときそれまで働いていた名古屋から”結果として”Uターンし、中津川市内に接骨院を開業します。というのは、中津川を創業の地としたのはあくまで偶然だったから。
市場調査の結果、市外も含めていくつかあった候補地を訪れたとき、「ここならいいかも」と思えたのは見学したその場所ではなく、なんと道を挟んだ向かいにあったビルの1階でした。
現在もその場所は藤井が所属する「合同会社おひさま」の本社でもあります。
そしてここから、藤井の実業家としての側面と、社会起業家としての扉が大きく開いていくことになるのでした。創業の地が中津川なのにJCI恵那に所属する、というのもまた面白い部分です。
今まで合同会社おひさまは様々な事業を展開してきました。(合同会社おひさまHP:https://ohisama.group/about.php)
しかし、そんな破竹の勢いで事業を展開する藤井も、実は身近なところで大きな課題に直面していました。
様々な利用者ニーズを汲み取り順調に事業を拡大していく藤井でしたが、そのスピードに合わせるようにスタッフの人数もどんどん増えていました。
4人でスタートした会社は、あっという間に20人になり、40人になり、当初の10倍まで成長しました。
人手不足と言われるこの時代にどうしてそんなに人が集まるのかと伺ったところ、保険制度の改変などもあり、医療業界では持っている資格と関係ない業務に就くこともしばしばだったそうです。そこで、本来やりたいはずの業務を創ることで、遠方からも募集に応じてくださるスタッフが多かったのだとか。
こうして仲間が増えていく一方で、採用に関してはとにかく来るもの拒まずで進めていた結果、あるときに社員の半分が一度に退職するという事態が発生しました。
ここで藤井は社内の体制を見直すことを決意します。
採用の方法を改め、事業を「誰とやるか」を一番大切にし、福利厚生にも心を配るようになりました。
藤井自身、会社のことを「変な会社です(笑)」と語るほど、その制度には独創的なものがいくつもあります。
例えば休暇制度をみても、「失恋休暇」「婚活休暇」「離婚調停休暇」などがあり、
これらは全て「実際に適用する機会があったから作った」とのこと。
それから「企業内プレゼン」、よくある現場から経営側向けにアイデアを提案する機会かと思ったら、最終審査員は会社外の審査員3名に加え、一緒に働くスタッフ40〜50人の投票で決めるそうです。こうしてトップになったプレゼンから「認知症居酒屋」や「スポーツゴミ拾い」などが生まれ、スタッフ同士の交流にも一役買っています。
そんな、「おもしろい」視点を大切にスタッフと歩む藤井。JCI恵那の理事長である今年の方針を改めて伺いました。
今年のJCI恵那はこれまで65年の歴史の中で、最も少ない会員数でスタートしています。
全国的にJC会員は減少の傾向にあり、数が少ないということはネガティブに捉えられがちなのですが。そこに藤井は一石を投じます。
「藤井のときが一番少なかったよねって言われたい。そして、少ない人数で強いチームワークがあるからこそ、私たちにしかできなかったと言われるようなインパクトのある事業をやりたい。」
大きな人数でできる事業もあれば、少ない人数でしかできない事業もあるはず。
そこでフォーカスしたのが本年の委員会である「まちづくり」と「働き方改革推進」でした。
まちづくりに関しては「なんとなく楽しい地域であればいい」という控えめな発言の裏で、「誰もがいいね!とうなずくような事業を作ってみせる」という強い野心が見え隠れしているように感じます。
働き方改革については、これまで紹介してきたような自身の経験も踏まえ、地域で活躍する人が輝ける環境づくりを積極的に広めていこうとしています。
今年1年で何をどこまでやるかはまだこれからですが、藤井が常々言っていることがあります。それは、
「リーダーは、メンバーに夢や理想をもたせ続けることが仕事」ということ。
JCI恵那の理事長として、皆より常に少し先の世界を見ている藤井が唸るような事業を実施できたとき、それは目指すべきステキな地域に向かって進んでいることの証でしょう。